コードからメロディを作る場合において、非和声音を使う場合(例えばCメジャーにおける、ド、ミ、ソ以外の音)は目立たせないようにする。
具体的にいうと、非和声音を連続して使う事、長い音符に使う事を避ける。
また歌い出しについて以下の特徴がある。
ルートから始める:安定感
3度から:美しいが、音程を取るのが難しい
5度から:音程を取るのは易しいが、空虚に響く可能性
(テキスト:秋山公良著「よくわかる作曲の教科書」)
コードからメロディを作る場合において、非和声音を使う場合(例えばCメジャーにおける、ド、ミ、ソ以外の音)は目立たせないようにする。
具体的にいうと、非和声音を連続して使う事、長い音符に使う事を避ける。
また歌い出しについて以下の特徴がある。
ルートから始める:安定感
3度から:美しいが、音程を取るのが難しい
5度から:音程を取るのは易しいが、空虚に響く可能性
(テキスト:秋山公良著「よくわかる作曲の教科書」)
今から数年前南インドの著名なアーユルヴェーダ医に診てもらったことがあります。
脈診するドクターを見ながら、どんな事を言われるのだろうと心配していましたが、ドクターは開口一番こう言いました。
「君は短気だろう。」
はい、そうなんです。
子供の頃から短気で友達とよくケンカしました。家では物を投げ、穴を何箇所作ったことか。
瞑想やヨーガのおかげで大分自分をコントロールできるようになりましたが、この短所はいつも気をつけていることです。
ドクターによると、ヴァータ(風)とピッタ(火)の組み合わせ体質の人は、基本的に短気なのだそうです。
「俺、キレちゃったよ。」
そう意気がる若者がいるかもしれませんが、短気は損気だと体験から学び、短気は弱さだと悟りました。
アメリカで鉄の棒を持ったおじさんに殴られそうになった事があります。インドでは、ショッピングモールで一騒動起こし、もう少しで警察に連れて行かれるところでした。いずれも短気の成せる業です。
暴れ馬の為すがままに走り続ける御者と、暴れ馬を手なずける御者。本当に強い者は後者だとスワミ・ヴィヴェーカーナンダは説きました。
デ-ーヴァ・プレマールの美しいキルタンです。
4小節からなるシンプルな曲ですが、飽きることがありません。
オーム ナモ ナーラーヤナとは神(ナラーヤナ)にひれ伏します、という意味です。
G C D G
Om Namo Narayanaya
G C D G
Om Namo Narayanaya
誰でも簡単に歌えるキルタンは、独学で学べるものだと思います。
でも、キルタンを深く学びたい人やキルタンを作りたい人、そんな人達に向けたコースがあります。
アメリカのキルタニスト、ドゥルガ・ダース (David Newman) が主催するキルタン・カレッジです。
次のコースは、フロリダにあるカーシー・アシュラムで来年2月に開講予定です。
1週間の集中コースで、キルタンやキルタンの作り方、キルタンの伴奏やリード、チャンティング、サンスクリット語の発音やバクティヨーガの教えなどがカリキュラムに含まれています。
私は以前コーディネートが面倒という理由で同じ色の服ばかりを着ていました。
そんな私を見てインド人の友人が言った言葉が、
「毎日違う色の服を着てごらん。何か新しい考えが浮かぶかもしれないよ。」
何でも試さないと気が済まないので、いろんな色のシャツを買いそろえました。
そしてその日に着るシャツの色を選ぶ時、それぞれの色が持つ波動について思います。
カラーセラピーという代替療法があるように、色彩は多かれ少なかれ私たちの心に影響を与えるようです。
以下は私の心を観察して得たものですが、恐らく皆さんの体験とあまり違わないのではと察します。
赤:好きな人も多いようですが、私は一番苦手な色です。この色を見ていると感情と鼓動の高ぶりを感じ、心の平安を失ってしまいます。
灰色:別の意味で苦手な色です。この色は私の心を憂鬱にするので、灰色の服は一着も持っていません。というより、持ち物で灰色の物はゼロに近いと思います。
黄色とオレンジ:今一番好きな色です。見ているだけで、心を明るく元気にしてくれます。心に同じような影響を与える太陽と同じ色ですが、何か関係があるのでしょうか?
青と緑:別の意味で好きな色です。両色ともさわやかで、心をすがすがしく、また落ち着きを与えてくれます。
白:中性的な色のように感じます。一番心に与える影響が少ない色ではないでしょうか。夜寝る時はこの色のシャツを着ると落ち着きます。
皆さんの好きな色は何色ですか?
「私の宗教のみが正しい」
もうそんな前世紀的な考えは捨てましょう。
「私の神を信じない人は地獄に落ちる」
そんな理不尽な考えはもう諦めましょう。
慈悲深い神は、ある特定の人々だけを助けたりはしないでしょう。
刻々と私たちの地上での生活が終わりに近づくなか、言い争いしている暇などありません。
クリスチャンもヒンドゥーも、ムスリムも仏教徒も、皆集い神の御名と栄光を歌いましょう。
今朝パンツを洗濯機に入れ忘れてしまったので、手洗いをしていました。
そんな時、ふと思ったのが、
「どうして洗濯は水を使うのだろう。」
「空気できれいにする事はできないのかしら。」
「汚れや汗を分解、洗浄してくれる素材があれば洗濯する必要も無くなるのに。」
といったことです。
汚れを自浄する素材なんて、あり得ないを思われるかもしれませんが、多くの発明は常識を疑ってみることから生まれたように思います。
この曲 Above All を聞くとスワミ・ヴィヴェーカーナンダの言葉を思い出します。
「神も悪魔も同じように強力だが、唯一の違いは神は無私で、悪魔は利己的なのである。」
「今もなお多くの人が礼拝するキリストの偉大さはその無私の精神にあった。」
歌詞のサビの部分です。
十字架にかけられ、
墓に葬られた方。
殺されるために生き、拒絶され、
だれからも見放された方。
美しい薔薇の花が
地面の上で踏みつけられるように
あなたは私の身代わりとなって
罪を負われました。
あなたは私のことを
何よりも大切に想ってくださったのですね。
(和訳:http://eml2.exblog.jp/6814871/ 様)
皆さんは車を運転中どう過ごされているのでしょうか?
私の場合、音楽や講話を聞く事もありますが、専ら歌っています。
すぐ近くを耳納連山が連なり、筑後川が流れています。
窓を開け、夏の風を頬に感じながら歌うのは気持ちのいいものです。
心がけているのは、元気よく、ノリノリで歌う事。
恐らくそんな私を見た人は、クスクス笑っているかもしれませんが、どうでもいい事。
「人が恥の意識を持っている限り神を悟ることはできない」
自らが神の御名に酔いしれて踊っていたシュリ・ラーマクリシュナは言いました。
勿論バジャンやキルタンも歌いますが、下の動画のようなフツーの曲も。
恋愛にはあまり興味が無いので、対象が愛する女神となります。
とにもかくにも名曲です。
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