すべての霊的修行の目的は、本当の自分を知ることである。
すべての人、すべてのものをスピリットとして愛するために、自身のスピリチュアルな真理を悟らなければならない。
私たちは、超越的な意識におていは、1つである。それがスピリットと呼ばれるもの、つまり真の自己である。それは神そのものである。心が静まり、乱れが無くなったとき、あなたは魂と神が1つで同じ
ものだという事を悟るのだ。
私たちは、元来、安らかでくつろいだ存在なのだ。ところが怠惰や、感覚の欲望を満たそうとする努力のために、その安らぎや、くつろぎを失う。
「私は白人だ」「私は黒人だ」「金持ちだ」「貧乏だ」「私は賢い」「私は女だ」「私は弁護士だ」ー このような定義や多様性は私たちが、自身を肉体や心と同一視するときに現れるものである。
では、浄化された人々は、上記のような定義を持たなくなるのだろうか?友人を見分けることもできない。誰もが同じように見え、同じことを話し、同じものを食べる。父も、母も、娘も、息子もない。それは本当の意味での浄化ではない。
ヨーガは、多様性が人生のスパイスだという事を忘れない。多様性は楽しむために必要である。しかし、その多様性こそが、私たちを錯乱させ、分断させるのだ。
ではどうしたらいいのだろう?
多様性を保持しつつ、そこに一体性を見るのだ。
私の師、スワミ・シヴァナンダはよく「多様性の中の統一」とう言葉を使われた。
覚えておこう。私たちが世界の多様性を楽しみ、享受できるのは、その背後にある統一、一体性を知り、それに気づいている時だけである。
「自己を知るヨーガ」より
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