菜食になって、もう15年以上が経ちました。
福岡に生まれ育ち、明太子やとんこつラーメンが大好物、野菜は嫌いでした。
宗教の戒律や環境保護などが理由ではありません。
お昼に骨付きカルビを食べていた時に、浮かんだある1つの思い。
「いったい、今食べている牛に何が起きたのだろう?」
それを想像して以来、もう2度と動物を食べる事ができなくなりました。
「野菜にだっていのちがあるじゃないか」
そう反論されそうです。確かに、インドの偉大な科学者、J.C. ボーズは植物にも意識があることを実験により証明しました。
しかし、動物と植物の意識の発達には違いがあるように思います。
熟した野菜や果物は、力を入れずとも簡単にもぎ取る事ができますが、牛や豚を殺す時はどうでしょう?
血や体液が飛び散り、痛みに大きな悲鳴を上げます。
小学校の近くに鶏の食肉加工工場がありました。通学路に面して建っていて、泣き叫びながら首を切られて行く、ニワトリの姿が今も脳裏に焼き付いています。
親戚が、乳業に携わっていましたが、屠殺上に連れて行かれる牛は、動こうとせず抵抗するのだそうです。
小さな蟻や蚊でさえ、殺そうとすると必死に逃げようとします。
生への強い願いは、人間と動物に共通しているようです。
グルメの名の元に、動物が人間の舌を喜ばせる快楽の道具となった今、動物のいのちの尊さを学ぶための教育を実践している高校があります。
福岡県久留米市にある筑水高校です。
この高校では、食料流通科の生徒たちが卵から鶏を育て、自分たちの手で捌き、調理するという命の授業を行っています。
大半の生徒は、やはり殺すのをためらい、泣き出す生徒も多いそうです。ヒトの優しさを感じ、ちょっと安心した気持ちになりました。
ある女生徒は「食材として命をいただいていることを実感しました。これからも感謝の心を忘れずに料理や食事をしたい」と語っています。
動物を食べるのか否かは各自の自由だと思います。
ただ、その際、尊い命が犠牲となっている事を思い、感謝する気持ちを忘れないようにしたいものです。
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