かれこれ30年近く愛飲してきたコーヒーですが、最近止めました。
止めたというより、飲みたく無くなったのが本当のところです。
ヨーガ(単にポーズや呼吸法を意味していません)を生活に取り入れると自然と悪い習慣から解放されると言われていますが、それを実感しています。
その昔、カフェインと砂糖がたっぷりの缶コーヒーをガブガブ飲んでいたのですが、ヨーガをはじめてから、普通のコーヒーを飲むと、動悸、神経過敏や頭痛が起きるようになり、カフェインレスに切り替えました。
でも最近ではディカフェでも、同じような症状が起きるようになり、もう飲む気がしなくなりました。
ヨーガでは食べ物をその性質によりサートウィック、ラージャシック、ターマシックの3種類に分けますが、コーヒーはラージャシック(心を散漫に落ち着き無くさせる性質)に分類されます。
コーヒーよりカフェインが少ない紅茶もラージャシックな食品です。
紅茶についてスワミ・シヴァーナンダジは適量なら良いが、できれば止めるようにと言われています。
以下は主な飲料のカフェイン含有量(約240ml当たり)です。
ドリップコーヒー:60 - 120mg
紅茶:45mg
緑茶:20mg
それにしてもインド人は神様好きですね〜 そんなインド人が私は大好きです。
神に委ねるという考えを受け入れられない時期もありましたが、いつのまにか神の帰依者になっていました。
私にとっての神とは、宇宙に偏在する意識であり、父性や母性といった人格や形を持った存在でもあり、また私の本性でもあります。
毎日瞑想やジャパ(神の名を唱えること)、カルマヨーガやキルタン(神の名や栄光を歌うこと)をしているのは、その事を悟り、常に感じていたいからです。
母なる神よ、私をお使い下さい
まだいろんな欠点や不純さを持つ私ですが
あなたの道具としてお使い下さい
私の毎朝の祈りです。
つい最近まで私は過去の過ちに罪悪感を抱いて生きていました。
そんな重荷から解放されたのは、インドを旅行していた昨年の春。
あるヨーガセンターで知り合ったインド人の友人と対話を続けて行くうちに、自分は決して好きで過ちを犯したのではなく、またその当時の状況に於いては私の出来る限りの選択をした事、そして、そんな失敗や過ちがあってこそ、今の自分があることに気づいたからです。
ラビーンドラナート・タゴールが言ったように、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの哲学や人生にはネガティブという言葉は存在しません。
失敗を祝福しなさい。例え1000回失敗したとしても、もう一度挑むのだ。
私は人生でたくさんの過ちを犯した。しかし、よく聞きなさい、これらの過ち無しでは今の私は無かったのだ。それゆえに、自分の犯した過ちに満足している。
私の言葉を誤解しないで欲しい、過ちを犯せと言っているのではない。自分の犯した過ちによって意気消沈するなと言っているのだ。
失敗を気にするな。失敗は必然であり、人生を彩るものだ。失敗の無い人生など考えられないだろう? 苦闘の無い人生など生きるに値しない。 そんな人生の何処に詩があるのだ?苦闘や過ちを気にするな。
嘘をつく牛など聞いた事が無い。しかし、牛は牛に過ぎず、人では無い。だから失敗を気にするな。
失敗や過ちこそが私たちの教師である。過ちを犯す者にのみ真実への道は開かれる。
木や石は過ちを犯さない、動物が自然界の法則から逸脱することはほとんど無い。それに比べ人間は過ちをおかしがちである。それでもこの地上で神となり得るのは人間のみである。
9月の末からとりあえず1ヶ月間、ヨーガのアシュラムで生活することになりました。
スワミ・サッチダーナンダジが創設したインテグラルヨーガの本部があるサッチダーナンダ・アシュラムです。
広さは600エーカー、あまりに広くて想像がつきません。
今回私が参加するのはリビング・ヨーガ・トレーニングと呼ばれるものです。
アシュラムに住みながら、日々カルマヨーガ、ハタヨーガ、瞑想等に従事します。
期待半分、不安半分といった感じです。
1年前からずっとソニア・ショケットから学んできましたが、彼女の言葉が随分と後押ししてくれました。
「飛び込むの」
「先を読もうとしないこと」
「完全に正しい決断や完全に間違った決断などない」
この遠い日本からわざわざヴァージニアの山の中に行くのです。
きっと何かの縁があるに違いありません。
昨夜ローカルテレビで福岡在住のしみ抜き名人、小林正四さんの生き方がクローズアップされていました。
この人にかかれば取れないしみは無いといわれるほどの名人です。
福岡県内に数店舗を持つクリーニング会社の社長さんですが、愛車は軽トラ、社内で誰よりも安い給与で働いている小林さん、理由を聞かれると、社員の雇用を守りたいからとのこと。
また数十年に渡り磨き上げてきたしみ抜きの技術を伝えたいと、ライバル会社の経営者向けに、ほぼ実費のみで講習会を開いたりもしています。
男尊女卑など悪しき習慣もありましたが、まじめさと自己犠牲の精神、昔の日本人は偉かったなあと思います。
また、小林さんのような人は何をやってもその道で極めてしまうのだと思います。
努力、粘り強さや熱心さ、そんな素晴らしい習慣を身に着けた心(=道具)を持っているのですから。
ある偉大なヨーギーが言いました。 ある1つの事を極めて人にとって、神の悟りは難しいものではないと。
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