今、南インドはコーチンのホテルにいます。清潔感溢れる部屋に、フレンドリーなホテルのスタッフ。
夕方部屋でゆっくりしていたら、部屋の外から爆音が聞こえてきました。
爆音と言っても、知る人ぞ知るインド人がテレビを見る時の音です。
インド人が大きな音でテレビを見るのが好きなのを知っているし、ここはインド、我慢しようと思いましたが、ドアを開けてみると、爆音が聞こえて来る部屋のドアは開けっ放しでした。
苦情を言うのはやはり勇気がいるものです。
「ホテルのスタッフから面倒な客だと思われたらどうしよう」
そんな思いが心をよぎりました。
このように物事をしようかしまいか躊躇う時に、いつも思い出すのがソニア(ソニア・ショケット)が教える、
「もし私に恐れが無かったら、私は〜する」
と自問するテクニックです。
「もし私に恐れが無かったら、果たしてホテルのフロントに苦情を言うだろうか、それともこの騒音を我慢するだろうか」
そう自分に尋ねた結果、フロントスタッフに最低ドアを閉めてくれるよう言って欲しいと頼みました。
夕食を終えて部屋に戻ると、テレビのボリュームがかなり下がっていて、私の部屋に音は聞こえてきません。
やろうかやらまいか躊躇する時、皆さんも試してはいかがでしょうか?
昨日チェンナイを後にし、ケーララ州のコーチンにやって来ました。
空港に着いたのが夜でしたので、景色を見る事はできませんでしたが、チェンナイと比べるとやはりのどかな感じです。
湿気や気温も穏やかで、今このブログを書いている朝9時半でも、エアコン無しで快適です。
ちなみに、コーチン空港は市内から約45キロも離れているので、道の空いている日曜でさえ市内のホテルまで1時間近くかかりました。(ちなみにプリペイドタクシーで約500ルピー)
それに比べるとチェンナイ空港は市内から約16キロ。市内からタクシーで30〜45分の距離です。
フライトが夕方6時。4時に事務所を出発すれば良かったので、3時頃いつも使っている大手タクシー会社Fast Trackに電話したところ、予約がいっぱいで5時まで手配できないとのこと。
結局、友人の知り合いの旅行会社で手配してもらい、チェンナイからバンガロールまでの電車賃と同じくらいの料金を払うはめになりました。
マイレージを貯めているので、フライトは今回もジェットエアウェイズ。食事はオプションだったので機内で買うつもりでした。
いざ機内サービスが始まって食事を注文しようとしたところ、サンドイッチしかないとの事。チケットの予約時に、注文しておくべきだったと後悔しました。
結局ホテルに着いたのが夜9時、ホテル近くのレストランはどこも混んでいて、腹ぺこで食事にありついたのは結局10時近く。普通なら、もうベッドに横になっている頃です。
タクシーと食事、失敗の原因はタクシーは簡単に手配できる、食事は予約なしで買えるという思い込みと決めつけでした。
今後は自分勝手な想像で決めつける事のないようにしなければと痛感した次第です。
インドの聖者曰く、心が清らかになるにつれて、いろんな事が観え始めるそうです。
自分の前世もその1つ。
幸か不幸か、私には自分の前世も他人の前世も観えません。
でも良く言われるように、これは私たちに取って都合の良いことだと思います。
今生でさえ、いろんな悲しい記憶やトラウマを背負って生きているのに、前世の記憶まであったらそれはそれは大変な事に。肉体を去る時に、一度記憶がリセットされるのは、幸運だと思います。
直接前世の記憶は無くても、自分の嗜好や傾向を観察することによって、ある程度推測することは可能かもしれません。
普段は前世などどうでもいいのですが、こんなことを考えるのはインドに来てからです。
私が今いる南インドのチェンナイは、インド第四の大都会。厳しい暑さと喧噪、大気汚染に交通渋滞など決して暮らしやすい町ではありません。
でもそんな環境の中でも、楽しんで、充実した日々を送っている自分がいます。
瞑想やヨーガを学ぶ場所、聖者やスワミに会う機会が多くあり、スピリチュアルな本や音楽も簡単に手に入ります。
南インドには厳格な菜食の人が多いのですが、私も専ら食事は菜食専門店です。
インドには人生を4つの段階(学生、在家生活、隠遁、出家)に分ける考えがありますが、私もこれを取り入れていて、今の在家生活を終えたら、出家、修行生活するつもりです。
20歳の頃よりほぼ毎年この悠久の国を訪れています。
外見上、地元のインド人にまじまじと見つめられることもしばしばですが、私には外国という感じはありません。
あくまでも推測ですが、過去に南インドのどこかで暮らした事があるのかもしれません。
たわいない夢であっても、聖者の夢を見るのは気持ちのいいものです。しかも今日は新しい週がスタートする月曜日。
ベッドに横たわったグルデブ(スワミ・シヴァナンダ)に手相を観てもらっていました。
私の左手を見ると、長いくっきりとした金運線が親指の付け根あたりから、小指の下まで伸びている。
私の願いが現れたようです。
グルデブ曰く、全体的に「出来過ぎ」とのこと。
実際の手相は、そうではないと思いますが、この当たりは、物事を良い方向に捉えるように努力してきた結果でしょうか?
ただ結婚運は、あまり良くないとのこと。
まあ確かに30代半ばで未婚です。
その後、グルデブから手相を転写するように言われたりしながら、目が覚めてしまいました。
あるインド雑貨店のメルマガに登録していますが、先日届いたメルマガにサイババの話が載っていました。記事の中に、"「性的な間違い」が過去にあったりしたためにか、態度を決めかねる人が多いように感じる。” とありました。この「性的な間違い」とは、一体どこから仕入れた情報なのでしょうか?
私の尊敬するスワミ・ヴィヴェーカーナンダがアメリカで活躍していた時も、彼の成功を妬んだインド人や、彼を恐れたキリスト教団体などが、「ヴィヴェーカーナンダはアメリカ人女性とセックスにふけっている」と、あらぬ噂を流し始めました。
これは、今日会ってきた、アーユルヴェーダのドクターが、ケーララ州の厚生大臣だったウェーリントン氏から直接聞いた話です。
氏は共産主義者だったので神を信じず、サイババがケーララ州に病院を建てた時には、わざと他のミーティングを入れて、式典には参加しませんでした。しかし、いろんな経緯があり、サイババのアシュラムに行くことになります。
集まった何千人もの信者の中から、サイババは「ウェーリントン」と彼の名前を呼び、個別のインタービューに呼びました。
サイババが特別な力を使って彼をクリスチャンからヒンドゥー教徒に改宗させるに違いないと恐れていましたが、開口一番彼にこう聞いたそうです。
「あなたはクリスチャンですか?」
ウェーリントン氏は「はい」と答えました。
「本当のクリスチャンですか?」
そう問われて、彼は躊躇い、
「いいえ」と答えました。
「本当のクリスチャンになりなさい」
それがサイババのメッセージでした。
ケーララに戻った彼は、共産党に辞表を出し、教会に通い始め、社会奉仕活動を始めました。
このようにサイババは、彼を共産主義というイデオロギーから解放し、人生に新しい価値を吹き入れたのです。
街の噂はどんなかは知りませんが、人の人生を変える事は偉大な人にしかできない事だと思います。
オプラ・ウィンフリーは、アメリカでその名を知らない人がいないほど有名なテレビ司会者兼プロデューサーであり、また活動家でもあります。
彼女が司会を務める「オプラ・ウィンフリー・ショー」は20年以上続く長寿番組で、アメリカのトーク番組史上で最高視聴率を記録しています。
タイム誌の「最も人々に影響を与えた20世紀の100人」の一人に選ばれ、2009年のフォーブス紙の長者番付では、世界の黒人の中でトップにリストされています。
幅広い慈善活動も行い順風満開に見えるオプラの人生ですが、多く成功者がそうであったように、彼女も困難に満ちた子供時代を過ごしました。
ミシシッピ州の地方の貧しい母子家庭に生まれ、9歳でレイプの被害に遭い、14歳で早産した子供を出産後すぐに亡くしています。また麻薬を止めることできず、父親との関係もよくありませんでした。
私も決して豊かとはいえない家に生まれ育ち、父親のアルコール依存症、登校拒否、家出、自殺願望など平穏ではない子供時代を過ごしてきました。
子供時代の逆境を乗り越え、今太陽にように輝くオプラには畏敬の念を抱き、インスピレーションの源となっています。
必ず抜け出す方法があると知っていたわ。
違った人生があるって知っていたわ - なぜなら本で読んだから。
違った場所があり、違った生き方があることを知っていたわ。
オプラ・ウィンフリー
人間の知識の希求には限りが無いようです。
私自身も、インド哲学に心理学、音楽、占星術、デザイン、ウェブ技術など学びたい事は無数にあります。
しかし、問題は時間には限りがあるということ。
限りの無い知識の欲望と、有限の時間というジレンマ。
インドのヴェーダンタ哲学は、そのジレンマを解決する為の1つのアプローチを提示してくれます。
「それを知る事により、すべてを知り得る」
“それ”とは、神、宇宙、意識、真我、ブラフマン等、さまざまな名前で呼ばれていますが、宇宙の根源なるものです。
それを知る事により、この宇宙の全てを知る事ができるのだと、ヴェーダーンタは説いています。
限られた時間の中で、最大の知識を得る、非常にプラグマティックで合理的な方法に思います。
先日テレビで神奈川県大和市に本社があるシコー株式会社と代表取締役社長の白木学氏が紹介されていた。
携帯を始めとする電子機器に使われる超小型モーターで世界をリードする元気カンパニーである。
テレビの画面からも白木社長の発明や技術革新への情熱が伝わってきた。
子供のころから機械いじりが好きで、大学時代には特許に関するサークルを創って活動してそうだ。
白木社長は「好きな事を仕事にする」という成功の法則の実践者だと思う。
自分の好きな事であれば、どんな努力も厭わない。
結果として、優れたサービスを創造し、提供する事ができる。
また心理学・形而上学的に言えば、好きな事をして発生するポジティブな波動が、協力者や顧客を引き寄せているのに違いない。
ジャック・キャンフィールドは、彼がセミナーを行う当日の朝はそれが楽しみで朝早く目が覚めてしまうそうだ。
それが究極の理想だと思う。
私も彼らのように天職を仕事にすると決めている。
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